2018/02/17
ヒポクラテス生誕の場所を探して 【後編】
~【前編】のつづき~
ヒポクラテス生誕の島、コス島に行ってきました。
ガイドブックにもネット上にものっていないヒポクラテス生誕の場所を
自転車を借りて、探索することにしました。
このページの目次
ヒポクラテス博物館での衝撃の事実
自転車で山に登ること30分。
隣を車やバイクが通り過ぎていきます。
写真ではわかりませんが、結構な勾配があります。
「ヒポクラテス博物館/INTERNATIONAL HIPPOCRATIC FOUNDATION」に着きました。
「ヒポクラテスの生誕の場所ってどこですか?」と私が聞くと、
「わからないわ」と博物館のスタッフの女性が言いました。
「えっ!わからないんかーい!」と突っ込む気にもなれませんでした。
「たしかケファロスの近くだったはずよ」と女性のスタッフは言いました。
ヒポクラテス生誕の場所は、コスタウンから車で30分離れた隣町ケファロスの近くらしいという情報をつかむことができました。
せっかくなので、ヒポクラテス博物館を探索し、裏にあるヒポクラテスの庭を見て、パンフレット買いました。
アスクレピオン神殿
近くにあった医神アスクレピオスを祭ったアスクレピオン神殿を見に行きました。
大きな三段の神殿で、門をくぐると、左手に公衆浴場の跡地が見えました。
一段目の23段の階段を登ると、二段目には左手に医神アポロンの神殿跡地、右手に医神アスクレピオス神殿跡地がありました。
ドーリア式の柱が数本と土台の石だけ残っていました。
二段目の60段の階段を登ると、大きな神殿跡地がありました。
真実はいつもあなたのそばにある
自転車で山を下りました。くたくたになりました。
ホテルに帰ってから今日のことをフロントにいたスタッフのアテナに話しました。
すると、「ヒポクラテス生誕の場所、知ってますよ」とアテナが言いました。
「えっ!!!!?知ってるの?」と私は言いました。
ちなみにアテナっていうのは、ギリシア神話の知恵の女神と同じ名前なんです。そのときの私の興奮伝わりますか。でも、そのときに誰にも伝えられなかったんです
「ってかアテナよ。それならギリシャ語で検索を頼んだときに教えてくれ」とは言えませんでした。
ついに見つけた
ホテルにタクシ―を呼び、ドライバーのスティーブに事情を話すと、「それは今世紀最大の発見かもしれない」と二人で興奮しながら、向かいました。
ヒポクラテス生誕の場所、その名は「Ayios Stefanos」
海水浴場でした。
しかも何の遺跡かもわかりません。
でも、アテナ曰くここなんです。きっとここがヒポクラテス生誕の場所なはずです。
アポロンやアスクレピオスなどギリシア神々に医療者のあるべき姿を示した宣誓文をつくったヒポクラテスの誓いがあります。
ヒポクラテスの誓いは、1948年のジュネーブ宣言で医の倫理として現代化され、いまも人権を尊重する医学倫理のモデルになっています。
現代医学の父、ヒポクラテスも最初は孤独だったと思うんです。
宗教が主流の医療の中に科学を提唱したからです。
どんな病気も治せるアポロンや、その子どもの医神アスクレピオスといった古代ギリシアの神々は当時の人々の心の中にはいたはずです。
当時のヒポクラテスの孤独に比べれば、私の孤独なんて小さなものですね。
参考にした本
A24 地球の歩き方 ギリシアとエーゲ海の島々&キプロス 2016~2017
「ギリシアの神々はちょっと違う。神話に登場する神々はとても人間臭く、いやむしろ人間よりも欲望のままに生き、自己中心的で、そして嫉妬をしたりうらやんだり、人を憎んだりもする。人間と同じような過ちを犯せば、落ち込んだり、反省したりもする。(P32)」
「一説によれば、アスクレピオスはアポロンの息子としてエピダウロスに生まれたという。優れた教育者として有名な半人半馬(ケンタウロス)のケイロンに養育された彼は、医術を伝授され、やがて死者すら蘇生させるほどの名医となった。(中略)
アスクレピオスの神殿は、誕生地エピダウロスのほか、コス島やペルガマなどに建てられ、信仰と治療の中心となった。現在は土台石しか残っていないエピダウロスに比べ、コス島の神殿は規模も設備も保存状態も良好で、圧倒される。これは紀元前5世紀~紀元前4世紀に、この島出身の名医ヒポクラテスの活躍があったからにほかならない。
『医学の父』と呼ばれるヒポクラテスは、医学学校や研究室、治療院を兼ねた神殿で弟子を育て、患者を治療し、医学技術の進歩にまい進した。(P219)」
一冊でまるごとわかるギリシア神話 (だいわ文庫)
「ケイロンは一目見て、アスクレピオスが父から医神になる資質を受け継いでいることを悟り、彼に医術を教えました。成長したアスクレピオスは不出世の名医となり、死んだ人間を生き返らせる技術すらもっていました。
ゼウスはそれを見て驚き、困惑しました。
(中略)そこでゼウスは、アスクレピオスに雷を落として殺してしまいました。
(中略)アスクレピオスを生き返らせて不死にし、神々の仲間入りをさせました。(P55-56)」
「古代ギリシア文化の中心だったアテネの名は、このアネナにちなんでつけられたものでした。神々が地上の土地を分け合ったとき、アテナとポセイドンは、(中略)アクロポリスの丘の上で。どちらがアッカイアの住民たちによりよい贈り物ができるかを競い、(中略)他の神々はオリーブの木のほうが塩水よりも人間の生活にずっと役に立つと判定を下し、(P70)」
ギリシア神話 (図解雑学)
「医学の祖ヒッポクラテス(前460頃~前375頃)は、古代ギリシアで医術の神として信仰されたアスクレピオスの子孫だとされている。
神話によれば、アスクレピオスはアポロンの息子である。彼はケンタウロス賊の賢者ケイロンに医術を学び、名医となるが、(中略)
しかし、人間とは“死すべきもの”。この絶対的な掟を破ったアスクレピオスはゼウスの雷帝に打たれて死んでしまう。彼は、天空に上げられ、蛇つかい座になったと言われる。蛇は脱皮をすることから若返りや治癒の象徴とされ、この医神のシンボルとなった。
アスクレピオスの聖地として名高いのは、エピダウロスやコス島だった。(中略)
なお、コス島にはアスクレピオスの後裔でアスクレピアダイと呼ばれる一族が住んでいた。ヒッピクラテスはこの一族から出たと言われる。(P158)」
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